「超上流」という言葉が一昔前流行していた。多分データさんが普及させている考えだと思われる。設計作業等を「上流」と呼ぶ傾向があり、さも「製造工程」(プログラミング)が「下流」であるかのような言い方である。この「上流」、「下流」の言い回しが日本のソフトウェア業界をダメにしている。
最近は上級幹部も参加しており、あたかも、公開処刑の場のように幹部は担当者に指摘を浴びせる。公開処刑のやり方変わってきて、最近の主流はトヨタ流のなぜなぜ分析だ。「コーディング誤り」、「設計考慮漏れ」等に障害を分類し、どの「工程」で失敗かを議論するやり方。
ただ、この分析であまりにも「ソースコード」が見えてこない。プロセス改善はいいことだが、本当に本質的な改善なのか疑問に感じる。コードが一度も資料として出てこないのに、設計書の書き方や、レビューチェックシートを追加するとか、訳の分からない議論をして満足している。調理をあまりしないコック長が、食材そっちのけで、レシピの書き方を改善してても、そんなレストランにお客さんを来ないと思うのだが。
これはまさに「上流」であるプロジェクトリーダが「下流」のソースコードを理解できないまま、プロジェクトが運営されていることの象徴であると考えるわけで。日本のソフトウェアがダメになっているのはまさにこういう文化だと思う。つーか「上流」、「下流」っていう、この言葉自体をなくさないといけない。