2012年2月27日月曜日

モックアップビジネスモデル

初期費用0円受託開発
 永和システムマネジメントさんが初期費用0円の受託開発をやっていることを、人づてに聞きました。この話を同僚の何人かに話したところ「こんなの出来る訳ない!」と口を揃えて言ってました。私の会社はITゼネコン大手です。従来の「受託」ヒエラルキー構造でビジネスを行っていたため、このような新しいビジネスモデルに理解を示そうとしないのでしょう。しかし、私はこのビジネスモデルが生まれたこと自体が日本のソフトウェア業界が変化の兆しと捉えています。

モックアップビジネスのメリット
このビジネスモデルは、最初の試作品(モックアップ)を0円で開発し、その試作品を気に入った会社は、その後利用料を月額で払っていくという、いわゆるクラウド型のビジネスモデルです。このビジネスモデルは、通常の受託ビジネスモデルに比べ、以下のメリットがあります。

     1.利益率の向上
私が所属している部署はパッケージ提供型の箱売りビジネスですが、たんなる「受託」に比べると利益率が2~3倍以上に上がります。受託ビジネスの場合、赤字を抱え込むリスクはなくなりますが、「人月」あたりの利益額は一定となります(極論、「無能」なプログラマをできるだけ安く集めて、マネジメントでなんとかプロジェクトを完了させることが、最も利益率を上げる手法となります)。自前で企画から開発までをサービスとして提供すれば、どこかの会社に中抜きされることなく、高い利益率のビジネスを実現できます、また、このモデルの場合、お客さんを「囲い込み」しますので、利益の継続性という観点でも魅力です。

     2.低コスト化の実現
通常受託の場合、開発言語やOS・データベース等のミドルウェアは、お客の都合で決まります。そのため、様々な技術に対して人材教育・人材配置が必要となり、そのままコストとしてビジネスに乗っかります。モックアップビジネスモデルの場合、自社が得意とする開発言語とミドルウェア構成で試作品を作ってしまえば言い訳で、リソースの選択と集中が可能となり、開発コストを大幅に下げることが可能となります。さらに、一度開発した共通部品や各種基盤系フレームワークは、次のモックアップでもそのまま流用できるため、コスト低減だけでなく、納期短縮や製品品質の向上も実現できます。

    3.開発者のモチベーション向上
試作品開発では、GUIから大枠の仕様を自社で決められるため、開発者のモチベーションは上がります。開発者の気持ちとしては、出来上がってからの仕様変更は苦痛そのものです。最初に試作品を作り切ってしまうことは、お客さんとのイメージの共有が簡単になるため、大きな仕様変更が発生しないことになります。さらに、今回のモデルの場合、仕様変更は月額に移行した段階で発生するため、「仕様変更しないと金払わんぞ、ゴラ!」という、よくあるお客さんの脅迫タイミングを奪うことが出来ます。

 このように、モックアップ型ビジネスモデルには上記のようなメリットがあるため、初期投資が「0円」でも採算があうのではと考えています。もっと言うと「0円」じゃないとダメです。「0円」という言葉はマーケティング的には絶大な効果を発揮します。だから5000円じゃだめなんです。(「0円」の言葉の力については、「予想どおり不合理」にも詳しく書かれています。)

モックアップビジネスを成功させるポイント
そうは言ってもこの新しいビジネスモデルは、従来型の「人月」モデルに比べると、失敗するリスク顕在化します。私が考えるに、このモデルを成功させるためには、以下のポイントが重要だと思います。

   1.有能なデザイナーの投入
  受注を成功させるためには、試作品のデザイン性が最重要です。「痒いところに手が届く」という機能要求については、月額の段階で対応するようにして、モックアップ段階で訴求すべきは「見た目」になるはずです。そのため、優秀なデザイナーが必要となるのです。「ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代」や、「デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方」にも書かれていますが、これからは感性の時代に突入します。そのため、優秀なデザイナーを社内で育成することが重要課題であると考えます。

2.再利用の徹底によるコスト削減
モックアップでは低コストでアジャイルに作り上げることが重要です。そのためにはプログラムを徹底的に再利用させるよう、共通フレームワークを拡充することがポイントとなるでしょう。モックアップ段階では、入社2、3年目の新人プログラマーと、優秀なデザイナーの組み合わせだけで開発できるくらいの、使いやすい部品ライブラリがあれば理想的なのではないかと思います。きっと、永和システムマネジメントさんの場合、開発言語はRubyでアジャイルに開発しているのだろうと思いますので、この点で言うと問題は無いかと思われます。

3.創造性の追求(受託意識からの脱却)
 受託開発の場合、製品の魅力が乏しいと感じられても「お客さんが言ったんだから、そのままやっておけばいい」という、一種の逃げが許されたりもします。しかし、自前でサービスを提供するということは、常に創造的であることを要求されます。本当に使いやすいユーザインタフェース、創造的な機能を創り出せる「センス」は、誰しもが持っているものではないというのが、私の持論です。魅力的なユーザインタフェースを想像すること自体、アーティストと同じ活動だと考えます。なので、そのような人材がキーマンとして社内にいるかいないかがポイントになると考えています。 

イノベーションのジレンマ
最近は、Nさんも赤字体質に苦しんでいる訳で、インドや中国の買収されるなんてことも現実味を帯びている状況です。今までのような受託ヒエラルキーの構造で、同じように受注できればいいのですが、クラウドの登場により市場価格が急速に押し下がっている状況を見ると、そんな大金をソフトウェアに出せるお客さんがどれだけいるか疑問です。日本のソフトウェア業界において、クラウドはまさにイノベーションのジレンマです。デジタルカメラを自社で開発しておきながら、フィルムビジネスの急速な落ち込みに対応できず、コダックはあえなく潰れました。今、日本中のIT企業がクラウドを進めていますが、まず自らの仕事のやり方を見直さない限り、コダックの二の舞になってしまってしまうと私は考えます。

2012年2月26日日曜日

ニーズをシーズでウォンツに!


ビジネスモデルって何やねん?
5、6年前くらい前に、会社でビジネスモデル特許を書けという至極あいまいな業務命令が私に下りました。技術特許については、それまでにも何件か出願依頼していましたので、十分理解していましたが、「ビジネスモデル特許」については、一種の「ハイパーメディア」なにがし的な胡散臭さが感じられていたため、意識的に避けていました。が、「ハイパービジネスモデルは胡散臭いのでちょっと。。」なんて、サラリーマンとして上司に対して言えないため、教育嫌いな私ですが、「ビジネスモデル」関連の社内教育を探し出して、理解を深めようとした訳です。
さて、その「ビジネスモデルなにがし」の社内教育に出向いてみると、片手に携帯よろしくノートパソコンに向かっている「チョイワル」な壮年男性が講師の席に座っておられました。周りの受講生は、その「チョイワル」講師をまるで有名人を伺うかのように、興味津々に見つめていたので、自分がえらく場違いな場所に来てしまったと後悔していたのを覚えています。講義を進めて行くと、著作「コンサルタントの質問力」の紹介がありました。その方がコンサルタント業界では有名な野口吉昭さんであることが初めて分かりました。

ニーズとシーズでウォンツを!
講義の内容は当初期待していた「ビジネスモデル特許」とは全く関係がないものでしたが、オフィス用品販売「アスクル」や、大田区を中心にお弁当を販売している「玉子屋」等を事例に、様々な業態でのビジネスモデルを分析するという、知的欲求を満たすとても有意義な講義内容でした。特に私が感銘を受けたのは、「新たなビジネスモデルを創出する過程において、ニーズとシーズでウォンツすることが必要」という話です。
ニーズはいわゆるお客さんの声。具体的ではあるが、視野が狭く、短絡的な内容が多いです。それは決して本当に欲しいモノ、いわゆる「ウォンツ」ではない。スティーブ・ジョブスは「客は本当に欲しいものを知らない」と言っていたとか。だけど、お客の誰もが知らない「ウォンツ」を創り出すなんて、簡単には出来ない。でも、社内のどこかにあるシーズ(技術)を最大限に活用すれば、「ニーズ」を「ウォンツ」に変えることが出来るという話でした。

iPhoneが出来上がるまで
スティーブ・ジョブス」でiPhoneが世界中で圧倒的な驚きを持ってリリースするまでの話を読んだとき、まさに「ニーズをシーズでウォンツに!」のケースに全く以て当てはまるなと感心しました。iPodが世の中を席巻していた頃、iPodを脅かすのはウォークマンではなく携帯電話であるとAppleは考えていました。デジタルカメラがカメラ付き携帯電話の登場により販売が落ち込む様を見ていたので、危機感を強く持っていたのでしょう。さて、AppleはMotorolaと共同でIPod付き携帯電話を開発し販売しました。しかし、これは大失敗に終わりました。携帯にiPodが内蔵した、「ニーズ」をそのまま具現化した「だけ」の製品だったからです。特にデザインがしょぼかったらしく、「スティーブ・ジョブス」の本の中でも糞味噌にこき下ろしていました。
ここで、Appleは既に開発を進めていたタブレット技術に目を付けます(iPhoneより先に、iPadを開発しようとしていたというのが面白い)。このマルチタッチ機能を「シーズ」として組み合わせ、徹底的にブラッシュアップを重ねた結果、まさにお客の誰もが想像もつかないようなiPhoneという「ウォンツ」が創造された訳です。

「現場」はフィールドだけじゃない
さて、私の仕事はソフトウェア開発なので、それに立ち戻って話をします。日本のソフトウェア業界に働いている人は必ずこの言葉を聴いたことがあると思います。「お客様の現場に出向いてお客の話を良く聞け!」。この言葉は半分は正しいですが、半分は間違いです。お客さんが欲しいモノを提供するためには、お客さんの現場に出向いて「ニーズ」を聞くことは重要ですが、それだけでは本当にウォンツなモノは作れない。「シーズ」は常に開発現場に落ちている訳で、開発現場にも同じように、いや、それ以上に出向かないと、本当に売れるウォンツな商品は出来上がらないと思う訳です。これから日本ではモノを作ったら当たり前のように売れるという時代じゃありません。客を感動させ、ワクワクさせる「ウォンツ」なモノを作るためには、やはり「ニーズ」と「シーズ」を繰り返し組み合わせながら、新たな「ウォンツ」を作り上げる思考パターンが必要とされるのでしょう。

この話は今週の重役向けスピーチのネタです。当初は(http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/25610490.html)を元にアレンジして、「ソフトウェア業界における少子化問題を考える」を用意したのですが、「無駄に炎上させてもしょうがないだろう」という上司判断により、今回の話のネタを日曜夕方に書き下している訳です。上司の命令を従順に従う私こそサラリーマンエンジニア。

2012年1月17日火曜日

後発医薬品、処方箋様式改定、プラセボ効果



後発医薬品の普及について
 2012年度の診療報酬改定では、社会保障費の赤字が慢性的に膨らむ中、診療報酬を1.38%上げて、その分薬価を1.38%下げて全体でトントンにするとの方針「平成24年度診療報酬改定について」を中医協が出しています。中医協や厚生労働省が薬価の引き下げに期待しているのが、後発医薬品(ジェネリック医薬品)の推進です。
 2012年度の診療報酬改定においても、処方箋の書式を変更して、後発医薬品を推進させようという施策「後発医薬品の使用促進のための環境整備の骨子」が議論されているようです。後発医薬品の普及に関して処方箋の様式が変更されたのは、2006年度の診療報酬改定の「後発医薬品への変更可」の欄の新設が初めてでした。これは後発医薬品に変更しても良い場合、新設の欄に医師名を印字することで、調剤側が後発医薬品に変更しても構わないという制度です。しかし、そもそも署名しない医師が多く、あまり効果が出なかったと言われています。その後、2008年度に、「後発医薬品への変更不可」の欄に変更されます。これは、意味を逆転させて、「医師名が署名されない場合に」後発医薬品への振り替るという制度改定でした。しかし、この制度改定も「後発医薬品への変更不可」がプレ印刷された処方箋で発行される等の抜け道があったようです。そして今回、薬剤単位に「変更不可」を指定する書式に変更して、プレ印刷問題を解決しようという目論見と思われます。

処方箋の様式を変えても後発医薬品は普及しない
しかし、処方箋の様式を変えようが後発医薬品が普及に影響が出ないということに、中医協にはもうそろそろ気づいてほしいです。そもそも、現在、院外処方箋のほとんどはオーダリングやレセコン等のコンピュータから印刷されています。いかに、「後発医薬品への変更」を促すような処方箋の様式だったとしても、医師が簡単な操作で「後発医薬品に変更不可」にしてしまう機能が開発されてしまう訳ですから、処方箋の様式を変更して後発医薬品を推進させるという施策自体がナンセンスなのです。さらに、処方箋の様式を変更した場合、それぞれの医療機関でシステム修正や、プレ印刷紙の購入等、莫大なコストがかかります。これでは、システム業者や、印刷業者が儲かるだけです。中医協には「後発医薬品の品質確保」等の正攻法に注力してもらいたいです。

プラセボ効果と後発医薬品
 後発医薬品は生物学的な試験により生物学的に同等効能であることが証明されていますが、安い後発医薬品よりも先発品の需要が高いのが現状です。その理由として、「プラセボ効果」が挙げられます。「プラセボ効果」については、行動経済学の学者が書いた「予想どおり不合理」を読むと良く分かります。本書では、2ドルのアスピリンの方が、1ドルのアスピリンより、良く効くという「プラセボ効果」の事例について説明しています。つまり、効く薬が高価なのではなく、高価な薬ほど良く効いてしまうということです。つまり「プラセボ効果」を考慮した場合、後発医薬品を推進すると、逆に投与量が増えて、社会保障費が上がってしまうかもしれないということになります。「予想どおり不合理」では他にも、スターバックスのコーヒーがおいしい理由、レストランでべらぼうに高いメニューがあると客の単価が上がる等々、面白い事例がたくさん載っている本なので、超お勧めです。

プラセボ効果で患者負担を考える
 うつ病等の場合、後発医薬品よりも先発品の方が良く効くようで、先発品の採用が高かったそうです。しかし、2006年度に施行された自立支援法で1割の患者負担に引き下がってしまってるので、「プラセボ効果」自体が効かなくなってしまいます。今年度の改定では、外来の高額療養費を現物給付化するとのことで、「プラセボ効果」で考えると、患者の負担額が低く見えてしまうので、治りにくくなるということになります。極論、外来の患者負担については、若者・老人問わず3割負担に設定し、高額療養費と公費は全て償還払いにした方が、プラセボ効果で病気が治りやすくなり、医療費削減に繋がるのではと考えるわけです。

2012年1月4日水曜日

緊張と緩和

お笑いの緊張と緩和
 この緊張と緩和という言葉は最近テレビでもよく耳にするキーワードでありますが、もともとは関西落語の桂枝雀さんが、「全ての噺は緊張と緩和で分類できる」という主張が最初とのこと。この「緊張」と「緩和」理論について、落語の世界を通して説明している動画がyoutubeに掲載されていたので、じっくりと見てしまいました。
 近年のお笑いは、いかに「緩和」させるかではなく、いかに上質の「緊張」を演出できるかだと思います。例えば、大晦日に放送された「笑ってはいけない」等の番組では、シュールレアリズムによる緊張と「アウト〜」による緩和と考えれば、まさにあの「緊張」の間が重要なのではないかと考える訳です。また、M1グランプリを振り返ってみても、徹底した変態キャラのチュートリアルや、徐々に盛り上がる喧嘩のブラックマヨネーズ等のコンビは「緊張」できる「場」を上手く演出しているな〜と改めて考えさせられます。桂枝雀さんは1997年にお亡くなりになられてますが、「緊張」と「緩和」は、お笑いの現場に最も取り入れられている理論だなぁと感心します。

音楽の緊張と緩和
 緊張と緩和の動画を見た上でiphoneの曲を聴いていたら、ヘビーローテーョンされる曲のほとんどが、緊張と緩和のダイナミズムがしっかり構成されている曲ばかりであることに気づきました。

例えば、ライブ曲での終盤のジャムセッションがラストのコーラスに向けて盛り上げる曲は何度聴いても脳内アドレナリンが分泌されます。最も重要なのは、ジャムセッションの質が高く、間延びしない程度の「緊張」を演出しているかだと思います。


レッチリのBy the wayなんかは、ライブじゃなくても曲自体が緊張と緩和で構成されてるため、ダイナミズムがあって、チャートインもなるほどなと感じます。

高校の時に流行ったダンスミュージックもやはり、ドラムが一定間隔で鼓動する「緊張」と、休憩時間?的な「緩和」がしっかりと構成されている曲だったなと思い出しました。

創出の緊張と緩和
古来中国の諺で、「良い考えは馬上、枕上、厠上で生まれる」と言われるそうで、ブレークスルーはリラックスされた「緩和」の中で生まれるとのこと。なるほど、私の仕事のソフトウェア開発でも、長時間かけて作ったものが全て必要なくなるくらいのアイデアは、家に帰ってお風呂に入った時に生まれたりすることが多い。様々な切り口で物事を捉えようと努めても、やはり緊張している状況では、視野が狭くなっているのでしょう。では、ずっと緩和(リラックス)すればいいのかというとそうでもない。本当に質の高いブレークスルーが生まれるためには、突き詰めて物事を考える緊張や、悪戦苦闘して実行する緊張が、過程に必要なのです。緩和しきった中での「軽い」アイデアを聴いても、聴いている人は魅力を感じないものです。

プロジェクト活動の緊張と緩和
良い作品をプロジェクトで成果を出すには、緊張と緩和のダイナミズムをチーム全体で形成する必要がある。各メンバーがそれぞれ持つ「緊張」と「緩和」の波長が、チーム全体で大きな波長になり、それは共振作用を起こし、信じられない程のパワーが生み出される場合がある。まさに「狂熱」である。このようなプロジェクトにするためには、各メンバーの波長を検知し、マネージャ自身の波長を乗せながら、チーム全体の波長に化けさせるマネジメントが必要だ。つまり、プロジェクトマネージャの目指すべき仕事とは、Excelでガントチャートを書いて報告することではないということだ。
このような考えは一般的なソフトウェア開発のPMとは異なる考えなので、私はPMにはなりたくないというのが結論。今年の春の情報処理試験は何も受けません!

2011年10月20日木曜日

Excelの列数と品質管理


作業標準化で品質は向上するか?
会社ではQMS(品質管理システム)と言う大運動会の時期です。「品質管理」という仕事を「やらされ」て思うのは、「属人化」した個人能力に頼るのではなく、プロセス改善により「組織的」に品質を担保することが、日本の会社では重視されていることなんだということです。つまり、野中郁次郎さんが言うところの、「暗黙知」から「表層化」された「形式知」で品質が管理されているかが重要視されている。理由として考えるならば、日本の会社は、実力主義を好まないムラ社会的な組織が多く、要は実力がないヒトでもある程度の品質が確保されるよう、作業を標準化(形式知)が必要となったのではないかと考えます。
さて、本当に作業標準化によって品質とは確保されているのでしょうか?

日本企業とExcel文化
日本企業では非常にExcelが好まれています。前にインドのプログラマと話をしていた時に、日本人から5mm四方のさいの目が並ぶExcelのドキュメントを渡された時に、その方が「クレージー」と思わずこぼしてしまったと言っていました。これほどまでに日本人がExcelが大好きなのは、やはり縦の横の枠にはめ込まれることを「日本人」の血が望んでいるのでしょう。
今回の私の仕事場での品質活動において、ある問題(トラブル)1件(1行)あたりに、Z列まで存在する項目を埋めるExcelの品質文書が届きました。これを埋めることで品質プロセスが担保されるということでしょう。そのExcelの歴史は長いらしく、どっかよそのプロジェクトで利用されているが「改善」され、私のプロジェクトに流れ着いてきました。1件の内容に対して、チェックする列が多く網羅性が高いことから、品質が向上するというロジックなのです。
さて入力してみると、ある列についてはほとんど同じ内容が入るか、もしくは適当にならざるを得ない項目が多く存在することに気づきます。それを入力している内に、その作業の単純さに怒りが覚えてきます。ある項目については当たり前すぎる内容だったため(OSがWindowsの製品にも関わらず「OS」という区分が存在するため)空白にしたのですが、そしたら品質担当のAさんが言うに「とりあえず埋めないと品質を確保したことにならない」とのこと。いや、本当に「クレージー」です。

増え続けるExcelの列数
品質管理する人にとっては、Excelの列を増やすことが「改善」になっているという意識が高いようで、その結果何かのプロセス改善を行えば、Excelの列が増えることになります。しかし本当に品質を確保するためには、列数を追加するときに一緒に列数を削除しなきゃいけない。開発者はそこまで時間に余裕があるわけではないし、市場はタイムリーに製品を要求してくる。お客様のニーズ・ウォンツを満たすためには、製品を効率的にリリースするということが最重要課題なわけです。それであれば、本当に大事なのは、必要のない無駄な「列」をいかに省けるか、必要のない仕事を以下に減らせるかが、本当の意味での品質活動になると考えるのが筋ではないか?
今回私が「クレージー」だと思った品質管理者は、きっと埋まってないと気が収まらないという性格なのでしょう。きっと、私が埋めたExcelを見て壮観だったのではないかと。本当に良い「管理」とは、「管理」されることなく、効率的に組織が機能するように仕組むこと。より列数が多いExcelを埋めることが「管理」したことにはならない。今回の例で言えば、単なる品質管理者のマスターベーションに私がつきあわされたということです。

前例主義による列の増大
日本の会社において、「列」を増やすより減らすことが難しい理由は、「前例主義」によるものと考えます。「前例」を破ってまで良くすることにリスクがある、またはリスクがあるように思われているのでしょう。かくいう私も、以前、問題点管理をExcelからTracというOpenなWebツールを使うようにした時には、「会社で前例がないもの使わない方が良い」と言われ、それどころか「おれが君の頃には土日出勤して工程表を手書していたんだ!」という精神論を聞かされる始末でした。つまり、前例を破って「失敗」したときのリスクを考えた場合には、前例を守ってやり過ごした方が、結局楽ということなんでしょう。このサラリーマン精神で、本当に製品の品質は良くなるのでしょうか?絶対に違います。常に向上する気持ちを持って、変化し続けるものしか残れないのが自然の摂理なはずです。

Creators or Servers
作業標準化により本当に品質が良くなるかという議題に結論を出すのは難しいですが、未来における作業標準化の必要性について語ってみます。IBMの人工知能コンピュータ「ワトソン」は米国のクイズ番組で76週連続チャンピオンに買ったそうです。クイズではもう人間はコンピュータには勝てないのです。コンピュータの得意とする仕事は「標準化」された作業です。もし今、標準化されて品質が保たれているような作業は、10年もしないうちにコンピュータでやらせた方が良いという時代になる訳で、そうなれば人間にやらせる必要はないはず。「標準化」された時点でアルゴリズムにしてしまえば、「標準化」Excelツールは必要ないということです。
で、長くなりましたが、私が言いたいことは、「品質文書を俺のプロジェクトに適用するんだったら、適用される「お客様」の気持ちにたって、創造性を十分に発揮して、こだわりを持った作品に仕上げて、ツールを適用しろ!」ということです。いまどきIT企業がExcelって。。。

2011年9月6日火曜日

GWT Maven Pluginでマルチプロジェクト

マルチプロジェクトでGWTを動作させたかったのだが、なかなかうまくいかなかった。 が、<compileSourcesArtifacts>を使用して初めて動作したので、備忘録の意味でも残しておく。

  • 参照するプロジェクト(artifactID=gwt-sample)
  • 参照されるプロジェクト(artifactID=gwt-module)

  • <!-- GWT Maven Plugin -->
    <plugin>
     <groupId>org.codehaus.mojo</groupId>
     <artifactId>gwt-maven-plugin</artifactId>
     <version>2.3.0-1</version>
     <executions>
      <execution>
       <goals>
        <goal>compile</goal>
        <goal>test</goal>
        <goal>i18n</goal>
        <goal>generateAsync</goal>
       </goals>
      </execution>
     </executions>
     <configuration>
      <runTarget>Sample.html</runTarget>
      <hostedWebapp>${webappDirectory}</hostedWebapp>
      <i18nMessagesBundle>
       jp.tkym.labs.gwt.client.Messages;
      </i18nMessagesBundle>
      <!-- 参照するプロジェクトを指定します. -->
      <compileSourcesArtifacts>
       <!-- [group-id]:[artifactId]を指定します. -->
       <compileSourcesArtifact>
        jp.tkym.labs:gwt-module
       </compileSourcesArtifact>
      </compileSourcesArtifacts>
     </configuration>
    </plugin>
    
    module側にはsource.jarを生成するようpomを設定する
       <plugin>
        <groupId>org.apache.maven.plugins</groupId>
        <artifactId>maven-source-plugin</artifactId>
        <executions>
         <execution>
          <id>attach-sources</id>
          <goals>
           <goal>jar</goal>
          </goals>
         </execution>
        </executions>
       </plugin>
    

    2011年8月17日水曜日

    Holstee Manifesto

    Holstee Manifestoポスターが届いたので、早速部屋に飾ってみた。
    さっすがオシャレだし、書いてある内容もシンプル。



    これはあなたの人生。だから、いつでも大好きなことをしていよう。
    何か気に入らない点があるなら、変えればいい。
    いまの仕事が気に入らないなら辞めればいい。
    時間が十分にないならテレビをみるのを止めればいい。
    愛する人を探さなくていい。
    自分の大好きなことに夢中になっているあなたを、愛すべき人が待っていてくれます。
    穿ったものの見方は止めればいい。そう、人生はシンプル。
    感情は全て美しい。何かを食べるときは、最後の一口まで味わう方がいい。
    考えも、腕も、心も、全て新しいコトやヒトに向けよう。
    お互いの違いを許容して、僕たちは結ばれている。
    出会った人には「あなたの情熱はなに?」って聞いてみよう。そして自分の夢も共有しよう。
    旅はするべき。道に迷うことで自分自身を発見するのだから。
    どんなチャンスも一度きり、だからチャンスを確実に掴もう。
    人生とは、あなたが会う人と創り出すもの。
    だから今すぐ何かを創り始めよう。
    人生は短い。だから夢を生きよう、情熱を持って。

    2011年8月14日日曜日

    電子立国日本の自叙伝



      10年前くらいに放送されていたNHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」を最近NHKオンデマンドで見る機会があったのですが、その内容が非常に面白かったのでご紹介。

      1960年代後半、当時コンピュータといえば、机と同じくらいのサイズが当たり前の状況。日本では「そろばん」という文化があり、世界でも珍しく卓上計算機のニーズが高く、当時の複数の日本大手電機が電卓開発にこぞって乗り出すこととなり、そして日本国内で「電卓競争」が始まる。「電卓競争」が激化する中、計算装置や半導体装置の小型化が進む。そして世界最初のLSIを搭載した小型計算機を「ビジコン」が開発する。だが、厳しい競争に耐えきれず「ビジコン」は倒産。当時「ビジコン」とLSIを共同開発していたIntelが、「ビジコン」から独占販売権と基本特許をそのまま買い取り、Intelが世界No.1の半導体企業として誕生することとなる。

      大学在学中、当時授業を教えてくれていた教授が番組の編集に協力していたことから、この番組を授業で流していたのを思い出す。世界の覇権を握るくらいのイノベーションを簡単に海外に流出させてしまう、当時の経産省を批判していたような思い出があります。Intelの覇権が現在に至っても続いていることを考えると、とんでもない確かにトンでもないことです。

     さて、最近は、原発の事故もあったため、自然エネルギーやスマートグリッドが注目されていますが、それらを実現するための最重要技術が電池・バッテリーと技術となります。一昔前は、そのほとんどが日本メーカで提供されていましたが、これがもう昔の話。今は韓国が1位で2位も中国に奪われています。日本の大手メーカは、バッテリー産業を21世紀版「産業の米」と捉え、いち早く研究開発費を投入し、また、ハイブリット車などの需要もあったため、バッテリーでは世界のトップを走り続けていました。それが21世紀に入ると、サムスンがメモリや液晶でやってきたやり方と同じ手法でバッテリー産業に参入してきています。つまり、日本の研究者を高額な報酬で引き抜きを行うアノ手法です。ちなみに、5年ほど働くだけで、日本での一生分の給料となるそうですから、引き抜かれた日本人を非難できないです。

     本来、バッテリー技術者の流出を止めるためには、まず、特定の研究者の給料をあげる等の優遇を行う必要があるわけですが、そんなことは日本企業では難しいのが現実のようです。ちなみにこの話は、私が勤める会社の元副社長がブログで書いていた内容です。元副社長は「日本は妬みの文化なので、このような格差を生むと会社がバッシングを受けるだろう」のようなことを書いてました。なるほど、確かに今のマスコミの報道を見る限りだと、そのように思います。

     「技術立国」だと言われている日本ですが、2つの事例を見返す限り、「技術」を簡単に手放しすぎていると思うわけです。せっかく生まれたイノベーションを上手にオペレーションできないところが日本ってことなんでしょうね。

    2011年8月6日土曜日

    Macbook Air を買ってみた。

    Desctop PCとNotebook PC

    長年、デスクトップPCを継続して愛用していました。やはり性能に対するコストパフォーマンスがノートPCは悪かったというのが最大の理由です。わざわざ、外に持ち出してまでパソコンなんて触ることないし、外出中はほとんど電車に乗っているか、歩いているかなので、スマートフォン程度のサイズで十分だという理由で。
    さらに言うと、スターバックスで襟を立てたOLさんがノートPCで、さも誇らしげにタイピングしている姿を見た日には、「かっこいい思ってるのか、この薄っぺらい人間が!」と心の中で毒づいています。
    やっぱ男だったら、PCはWindows、エディタは秀丸、メーラーはBecky。そんな男を満足できるのは、最高の実行性能を計測するCPU、マザーボードのスロットを埋め尽くす大容量メモリ、無尽蔵のディスク容量を搭載した男気溢れるデスクトップPCだと確信していたのです。
    そうは言っても、近年のノートPCの価格破壊ぶりには、大きく興味を抱いていたのは事実。さらにディスクにSSDを搭載した製品が出回ってきているこの1、2年、浮気心がくすぶり続けられます。そんな、neutralな気分でいた先月、最新型の「Macbook Air」が発売されました。最新型のIntel CoreシリーズCPUと、128GのSSDを標準搭載。さらに驚かせたのは、88,000円~という驚きの価格。その時の私は「スティーブ・ジョブスになら抱かれても...」と心が倒錯し、Macbook Airの購買欲にとりつかれたという次第であります。


    見かけだけじゃないMacbook Airの実力

    Macbook Airが届いたその日、私は一心不乱にセットアップ作業を進めようと思ったのですが、そこはApple、やはりさすがだなと感心しました。通常Windows PCを買ったら、ネットワーク接続等から、「ダサい」ソフトウェアのアンインストール作業までの地味な作業を延々とやることにある。
    Macの場合、電源をつけてからの始まりがまるで映画のような演出で、さらにインストール作用も最小限になってました。これがコンシューマ市場で圧倒的に支持される理由なのだと、改めて感心したしたのです。

    今回、まずインストールしたのが仮想化ソフトウェアParallels(http://www.parallels.com/jp/)。そしてその仮想環境上で、Windows 7、Linux ubontsu、Crhome OS、Andoroidmulatorを矢継ぎ早にセットアップしていき、最終的にWindows 7にMSDNをインストールでセットアップ完了しました。
    ここまでで感じたことが、仮想環境上のWindows 7の性能が快適過ぎることです。Windows 7なのに起動時間が全然違う。そのため、我が家のWindows デスクトップPCが全く登場しなくなりました。「何故ここまで?」と思い立ったので、簡単なプログラムを作成し、MacbookとデスクトップPCで実際に比較してみましたのですが、意外にも実行速度はあまり変わりません。なるほど、この快適な性能を実現しているのは、SSDによる高速なディスクアクセス性能が影響してるのでしょう。見た目だけじゃない、最も基本的な機能である「速さ」を低コストで実現できるのは、OSから自社研究している高い技術力、世界屈指の部品調達力、ユーザ視点の設計思想がAppleに存在するという証明でしょう。

    Mac OS Lion のインタフェースへのこだわり
    もともと、MicrosoftはMS-DOSを背景としたCUIの上に、GUIを乗っけているという思想であるため、すべての操作をキーボードで行えるように設計されています。対極的にAppleはマウス等のGUIを中心としたインターフェースを重点的に設計しています。それが今では、それがマルチタッチという新しいインタフェースに活用されているということだと思います。(このワタクシ、徹底的にマウスを使用せずに、変態的なまでにショートカットキーを操るWindowsユーザなんです。やはりキーボード操作位はなんとかならんのかと思いました。。)
    そんなWindowsで育った肉食系な私ですが、最新のMac OS Lionのマルチタッチの出来映えは秀逸に感じられました。3本指スワイプによるアプリの切り替え、Safariでの2本指スワイプによる「戻る・進む」(履歴の移動)は非常に直感的で操作しやすいです。Google Chrome は、今後Lionへの完全対応に向け、従来3本指スワイプだった「戻る」のジェスチャーを、2本指に変えると発表していました(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-00000023-mycomj-sci)。3本指スワイプの恩恵を受けた私にとって、Chromeの仕様変更を応援しています。
    また、OSバージョンアップにより縦方向の2本指スワイプによるスクロール方向が上下逆転したそうです。iPhone, iPad等のインタフェースを共通化が目的とのこと。iPhoneを使用している私にとってはありがたい話ですが、Macbookを継続利用している人にとってはたまったものじゃないと思うのです。しかし、そんな仕様変更を(設定もなしに)大胆に実行してしまうのがAppleらしいというとこでしょうか。Appleのインタフェースへの異常なまでのこだわりに感心と驚きを感じた次第です。

    革新と互換性のトレードオフ
    スティーブ・ジョブスは「革新にとって互換性は最大の障害である」と言っていたとか。私もソフトウェアを設計・開発するにあたり、この言葉をよく思い出します。長年使用してもらっているお客がいる限り、互換性は重要視されますが、そこだけにこだわると革新的で本当に「欲しい」と思えるものは決して出来上がりません。モノを作る際に「互換性」だけを重視すると、開発者は「どうあるべき」かも考えず、創造することを辞退します。これはモノ作りを生業とする人間にとってサボタージュに値する。こんな低いモチベーションでは、よいモノは決して出来ない。
     「何かと似ているものを作った場合、使う人は互換性に文句を言うが、創造性に溢れ、全くの革新的なものであれば、互換性について文句を言う人はいない」が私の持論です。人間新しいものを作ったようで、実は何かに似ていることが多いし、既存のものをちょっと変えたようなものはやはり互換性を使う人は言ってくると思う。
    だが、互換性がどうのこうの言われたときこそ、さらにゼロベースで本質を捉え直し、もっともっと創造的で革新的に考えて、初めて創造性のある作品に仕上げる必要があると私は思います。Macbook Airが出来上がるまでに、様々な開発者の思いやドラマがあったのであろうと思いながら触ると、それは感慨深く感じられ、一つの仕様変更さえ愛らしく思うものです。

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    PS:天王洲のスターバックスでコーヒーを飲みながら、Macbook Airで「創造性」を語る今の私は、薄っぺらい人間だと自認しようと思う訳で。








    2011年7月30日土曜日

    プログラマー飲み会

    お世話になった協力会社のメンバーを送別する飲み会に参加してきた。飲み会の会場は京急蒲田の商店街の真ん中にあり、300円均一の料理、発泡酒の生ビール、不自由そうにメニューを繰り返す中国系スタッフと、デフレな世の中をまざまざと感じるお店でした。

    さて、今回送別した方は私が尊敬するプログラマです。ズバ抜けてコーディング技術が高く、さらにJavaの知識も深く広い。彼の書いたコードはとてもシンプルで分かりやすく無駄がない。インテリジェンスとモノ作りに対する愛情がコードからにじみ出ている。
    宴もたけなわになり、そのスーパープログラマが飲み会の最後にスピーチし始めたのだが、酔いも手伝って内容が非常に熱かった。
    「ソフトウェアエンジニアとは労働者ではなくアーティストだ」
    「製品を作っているのではなく、作品を作っている気持ちが必要だ」
    飲み会の席でこんな言葉を語れるプログラマに出会えることは非常に稀な経験だ。

    日本のソフトウェア産業はクラウドという時代を迎え、大きく変わりつつある。企業は自前で「作る」ことをせずに、世界中で使われている優れたサービスを「使う」時代となった。そんなクラウドの時代では、Google, Microsoft, IBMのトップベンダー、そして世界中の新興企業との競争相手となり、より「使われる」サービスを提供した企業が勝ち残る。 このまま今の日本のITゼネコンベンダーが、旧態依然と過ごしていけば間違いなくビジネスを縮小させていくだろう。
    まさに今までの日本のソフトウェア業界は江戸末期。多重請負構造という封建制度。日本語の壁という鎖国制度。
    今後は日本古来の請負ビジネスが縮小し、中小ソフトハウスの倒産が発生する。出来ないプログラマは自然淘汰されていく。(ましてやプログラムを読めないシステムエンジニアっていう部類は真っ先に淘汰されると思う。)「使われる作品」を提供できるエンジニアでなければ、この世界は生き残れない時代になってしまった。

    「作品」を提供できるプログラマーはあの飲み会の中で何人くらい出てくるのだろうか?
    我々は良い「作品」を作らないと、10年たって発泡酒も飲めなくなってるかもしれない。