2012年3月26日月曜日

デザイン思考が大事


ひどいユーザインタフェースに出会った怒り
 他人が設計したユーザインタフェースを見て思うのは、センスがある人とない人でユーザインタフェースの完成度が全く違うということです。最近みた画面で一番センスないなーと感じたのは、ワイドディスプレイ一杯にボタンやツリーが貼付けられた画面でした。多分、パワーポイントを使って設計したのでしょう。とりあえず、広がったワイドディスプレイ一杯に機能が盛り込まれています。カタログを見たら「たくさん機能があるな〜」と感じます。しかし、実際使ってみると、フルHDの右側と左側を交互に見るはめになり目線が左右に散らばるため本当に疲れます(マウスも右へ左へ行ったり来たりします)。最後にボタンを押せば、必要性を全く感じさせない確認画面が表示され、苛立ちを覚えます。さらに、デザインに統一性がないため、マニュアルなしでは何処に何の機能があるのかがさっぱりわからない始末でした。こんなユーザインタフェースでお金を取っていること自体、犯罪だと思います。どんな言い訳をしても死刑です。

ひどいユーザインタフェースが出来るまで
 こんなひどいユーザインタフェースが出来るまでの過程というのは、まさに日本企業の悪い文化が出ているなと感じます。
フルHDになった画面に対して設計した上記の例では、今までの画面設計を見直さずに、画面が広くなって空いているところにただ機能を詰め込んだだけでした。
「使える画面が広くなった」ということで全体的に設計を見直すことなく、ただ広がったところに機能を追加しただけです。
設計者は、きっと追加された画面の一部分に対して細やかに設計していましたが、全体的なユーザインタフェースについては、見直すことに躊躇したのだと思います。
全体的な見直しを行わず、今ままであった部分を直すこと無く、機能を追加したのでしょう。
設計者はきっとこう言い訳するはず。
「互換性を重視」、「上司に言われたとおり追加しました」。
まさしく、日本人特有の悪しき文化である、前例主義、部分最適、他責文化がまざまざと現れています。

ユーザインタフェースとは芸術
このGUIを設計できる技術を向上させることは、社会人になってからでは遅いというのが私の持論です。
ユーザインタフェースを作る作業は芸術品を作るものと同じです。
もちろん美意識が強くないと駄目で、さらには、ユーザ(他人)に対する洞察力、斬新的なものを作るための想像性、統一性を持たせるための論理性等、様々な能力が必要とされます。
会社員になってから、これらの能力は著しく伸ばすようなことは出来ません。
それは、才能であり、多感な時期である10代に以下に創造的な挑戦を行っていたかどうかだと私は考えます。
ですが、日本の企業はこういった人材を大事に出来ません。
こんな才能を持っている部下がいたら、上司だった扱いづらい部下に見えるでしょう。
これらの能力はお客さんを喜ばすことにはなるかも知れませんが、上司や会社に対して反抗的になりがちであり、部下として扱うにはめんどくさいものです。
日本企業でやはり必要とされるのは委員会的に調整する人であり、気難しい芸術家を大事にできないのでしょう。
最近のソニーが作るモノが面白くないのは、まさに「委員会による設計」のアンチパターンに陥っているのではと考えたりもします。

日本に必要とされるデザイン思考
今後、日本だけでなく世界的にCreator or Serverの時代が進みます。
アジアの安い労働力と日々進化するコンピュータ性能、そして満たされた生活。
その中で、ビジネスとして必要なのは高いコンセプトとデザインであると考えます。
まさにハイ・コンセプトの時代に変わりつつあるということです。
技術力はあるが、借金まみれの日本という国は、何故か対フランスでは貿易赤字になります
車やハイテクなモノを世界で売って輸出したとしても、ブランド志向の高い日本女性が、資生堂ではなくフランスの化粧品、日本製鞄ではなくプラダやディオールを買うから、イタリア・フランスに対して貿易赤字になるのです。
そう考えると、世界的な日本製ブランドがたくさん出来て、今後消費が伸びるであろうアジアで鞄・靴・化粧品を売れるようなブランドになれば、日本という国は高齢化社会を迎えてもある程度やっていける国になるのではと考えています(という考えをデフレの正体という本を読んでおもしろいなと思ったわけです)。

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